それぞれの旅立ち

後期教育も終えそれぞれが各中隊に配属されました。私は第1中隊、鎌で指を切り、そのまま部屋で待機していたH2士は第2中隊。

S2士、A2士は第3中隊に配属されました。特にS2士は優秀で第3中隊配属の班長が引き抜いたものと考えられます。

私は1人で不安でしたが第1中隊配属の任名を受け、これからの本当の自衛隊生活始まると心新たに第1中隊の所属の部屋に向かいました。

T准尉が案内してくれましたが、とても人当たりのいい方で、隊長からお前のことを頼まれたから、悩みがあったら何でも私に相談しなさいと言われホットしました。 続きを読む

初めての演習

後期教育の検閲も終え安心した矢先に隊長から戦車大隊の検閲に参加すると言われ、戦車大隊の検閲の意味も分からず、演習の準備をして3tトラックで演習場へ向かいました。

実際演習場に入ると山の中で道はあるのですが、どこがどう繋がっているのか分かりません。

演習場に入ったのは午後遅くで、7月の蒸し暑さの中で、天幕を張る作業をしたりしました。始めはトイレの穴掘りです。2泊3日の不眠不休の演習です。

トイレの穴を掘るのが演習での仕事始めです。だいたい1mくらい掘るでしょうか。 続きを読む

母と父の想い

私が自衛隊に入隊する時、母は無理だと反対しましたが、私の体調のことを心配していたのでしょう。

それ以前に、下血、過呼吸と体調に変化がありましたから、そのことを心配しての発言だったと思います。

私が頑固に引かないものですから、母もとうとう折れてしまいました。父は大いに賛成しましたが、父の場合、私が高校を中退して遊んでばかりいると、世間体を気にしてのことでしょう。

元々は1986年11月入隊予定でしたが、岩手地連側で入隊の手続きの誤りがあり、年が明けて1月と言うことになりました。我々は正規隊員と違い、半端隊員という呼び方をされます。 続きを読む

焼肉の想い出

後期教育も終わりにさしかかった頃、隊長の家に招待されて焼肉をご馳走になりました。その時の思い出もかなり断片的なのですが、隊長と奥方との2人住まいだと思いましたが、ご長男もいらっしゃったような記憶もあります。

とにかく屋外でバーベキューをしたことは確かです。また隊長と同じで奥さんも控えめな方で、私達の話しをニコニコしながら聞いていた姿はよく覚えています。

土曜日のよく晴れた午後でした。カラオケもしたような記憶もあるのですが、その辺はかなり曖昧な記憶です。

班長は用事があって行けないとのことでした。隊長はビールを飲みながらご機嫌な様子でしたが、私達はジュースでハイテンションになっていました。 続きを読む

後期教育だけがスッポリ

後期教育も検閲を行いましたが、何をどうやったのか全然覚えていないのが事実です。それほど思い出したくない何かを脳が封印してしまったのでしょうか。

ただ大型特殊免許を取るためのCP(キャタピラ式小型車両)が走行するためのコース作りをしたことは覚えています。原野を草刈してCPで土台を作りあとはスコップ片手に手作業です。

それは大変な作業でした。しかし私にとっては班長を含め班の4人と忙しく作業したことが何よりも楽しかったです。

CPの運転は苦手でしたが、免許は何とか取得しました。そのコースで2ヶ月遅れで入隊した4月隊員が訓練したことは、私の密かな自慢でした。 続きを読む

自衛隊の食事

I駐屯地は盆地で夏は暑く冬は寒い所です。冬はボイラーが通っていて部屋の中は暖かですが、お風呂に入って外に出ると前髪が凍るほどの寒さです。

後期教育期間は4月下旬に始まりすぐにゴールデンウィークの休暇に入りました。自衛隊に入隊して、初めての長期休暇でした。

家に帰ると何か不思議な感じでした。自由な空間に戸惑いも感じましたが、すぐに慣れました。

自衛隊の食事はまずくてとても食べられません。I駐屯地には1800人ほどの隊員がいましたから、とてつもなく大きい釜でご飯を炊くのですが、かたかったり、やわらかすぎたりと、ちょうどいいということがまずありません。 続きを読む